ありふれた絶望〜自分のキモさと向き合いたい〜
- オオイシアオイ

- 2022年12月16日
- 読了時間: 3分
なんだかとんでもないことに気づいてしまい、感情の行き場がないので日記に吐き出してみる。Twitterに吐こうとしたけどあまりにも自分がきもくて憚られたので…。
今日あったとある出来事と感情の動きによって気づいてしまったのだが(これについて詳しく書くことはこの場でさえも憚られるくらいにキモいかつ個人情報なため自粛します)、私はどうやら、「先生」にどうしようもなく惹かれてしまう傾向が、法則が、あるようだ。
たとえば、大学の時の担当教員。その人に、私は傾倒していた。狂信者であった。周りからは(当の教員からですら)そうは見えなかっただろうけど、私なりに信じきっていたし、溺れていた。その人の圧倒的な知性に、献身に、私はひれ伏すほかなかった。いささか厳しすぎた気がするしそのことに不満がないでもないが、やはり少し時間をおいて冷静になった今考えてみても素晴らしい先生であったと思うし、あの人はクソみたいな学生であった私のことを、最後まで見捨てなかった。
…けれど、その人は本当に文字通り単に職業的な意味でも私の「先生」であり、そういう師匠に私は運良く出会うことができ、ひれ伏しながら学んだり学びきれなかったりした、それだけの話だと思っていた。
だけど、(個人情報すぎるしキモすぎて当人に申し訳ないので一人一人についての詳細は省くが)、なんだか、私がのめり込むまたはのめり込みかける人には、パターンがあるような気がする、と突然気づいたのだ。
それは、まず第一に圧倒的な知性(学問的な意味の時もあればそうではないこともある)、そして私より一回り以上年齢が上であること、さらに、(これを書くのはあまりにも自分にとっては屈辱的であるが、事実は事実なので認めなければならない)、男性であること。
そして、そして…これに気づいた時に絶望でくらくらとしたのだが……、
私の父親は、憎き我が父親の職業は、「先生」なのである。
ああ、なんとありきたりな、つまらない絶望なのだろう!私は本当にしょうもない、ありふれたダディーイシューを抱えた子供だったのだ。本当につまらない。自分がここまで平凡で、気持ち悪くて救いようがないバカだとは。ああ。
現実を受け止め切れなくてスマホに走り書きをしていたら余計にやり切れなくなった。飲み過ぎたコーヒーのせいで心臓がドクドクとする。
誰にも話したくないことほど誰かに吐き出してみたい。こんなキモすぎる告白をわざわざ読んでくれるような素敵な人に嫌われたくない。でも、うう、キモいよなあ、私だってキモい。自分のこのキモさとどう向き合えばいいのか。
…え?あなた、教えてくれるの?やばい、はまっちゃいそう!
……オエーーーーーーーッ。
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